自分たちのカラーを出すには
自分たち自身でやるのが一番いい。

――タケムラ氏(SNAIL RAMP)のスクールバスレコーズから離れるというのは、みんなで決めたことだったんですか?
カツ・デッド
「みんなで次を出すのをどうしようかって話をしていた時に、僕は反対意見のほうだったんです。ぶっちゃけますと、僕はどっかに決めて出すんじゃなくて、自分たちが新たにやり始めてできたものを、また一から、いろんなレーベルに送ってCDを出せるところを探すということから、もう一回やりたいなというのがあったので、僕はみんなと違う意見を言ってて」
――みんなの意見というのは、具体的には?
カツ・デッド
「とりあえずスクールバスを出ようというのはあって。師匠(タケムラ氏)にもお世話になったから、次は出て恩返ししようぜって、みんなは思ってた。ただ、“メジャーに行ったほうがいいんじゃないの?”とか“このままインディーでやったほうがいいんじゃないの?”っていう話がいろいろあって、どうしようかって言ってた時に、ちょうどスクールバスでの最後のタイトル(※'02年11/20リリースのアルバム『HEART ATTACK』)ぐらいからの岩瀬さん(※現スタッフ)にはお世話になっていたんですけど、それで“自分たちでレーベルを作るという話もあるよ”ってことも聞いて、みんなで“どうしようか”と。
 僕は、最後まで反対意見を言ってましたね。自分の中ですごくモヤモヤがあって。僕は、もう(ライヴハウスの)ノルマも払わなくてもいいかなってぐらいの頃にチェンヂアップに加入して、バンドの一番ツラいところを経験してなかったから、ちょうどいいんじゃないかと思ったんです。メジャーにしろインディーにしろ、もう一回ずっと一緒にやっていけるようなパートナーを探したかったんですよ。まったく無の状態からやりたいな、と」
――レーベルを横滑りするのではなく、一度リセットしたかった。
カツ・デッド
「そういう話もしてたんですけど、でも岩瀬さんのおかげで自主レーベルができるってなった時に、今まで自分たちが培ってきたものを出せるから、それはそれで僕は納得したんです。出してもらってる立場から、今度は自分たちでどんどんやっていかなきゃいけない。本当の底辺より、ちょっとワンランク底辺を越えた。今度は自分たちで、いろんなことをやらなきゃいけない。その代わり、CDを出したことがないバンドですごく好きなバンドがあれば、それを引っ張っていけたりとか。
 スクールバスの時は、タケムラさんが気に入ったバンドで、僕ら的には音楽的にちょっとウチらとは違うねっていうバンドとも一緒にやったりしたこともあったんですけど、そういうことも自分たちでやることによってなくなるし、自分たちが動く時に出したくて出したバンドとできるというのも、すごく楽しいだろうなって思って」
――その体制になったのは?
カツ・デッド
「今年の5月からですね」
――レーベル名の由来は?
カツ・デッド
「モトクロスの技で、コルドヴァっていう技があるんですよ。ハンドルに足をつっかけて、のけぞっていくやつなんですけど」
――スペインの地名でもありますけど、何か意味はあるんですか?
スタッフ岩瀬氏
「どらちかと言うと、あまり深くは考えてないんですよ。ただ、モトクロスの技の中でも派手で、難易度も高いし。それをキメた時のお客さんの歓声も全然違ったりとか」
――なるほど。
(※リョウヘイ登場)
――スクールバスを出るに当たって、バンド内でいろんな意見があったとのことですが。
リョウヘイ
「レーベルを作るというのも、選択肢としてはあって。一番お金になるやり方はどれかっていうのもあったし」
カツ・デッド「特にメジャーは見てなくて、でもメジャーに当たってくれてる人がいて、という状況で。でも、あったとしても出してあげてもいいよ、みたいなところがあって」
――インディーの移籍先を積極的に探していたわけでもない?
リョウヘイ
「自主っぽいことをやりたい、というのはあったんですよ。どこも信用できないっていうか、自分たちでやるしかないっていうのがあって。自分たちのカラーを出すには自分たち自身でやるのが一番いいというか。自然に、みんな同じような考えを持っていました」

曲数も少ないし、早く仕上げる
ためにも、まずはマキシかな、と。

――自主レーベル第1弾が、アルバムではなくマキシになった経緯は?
リョウヘイ
「移籍したのが一番形に表われるのは、やっぱり作品じゃないですか。俺らの中では新しいレーベルに変わったと思っていても、新しいところからCDを出さないとお客さんには伝わらないから、まずそれを形にしたいというのがあって。曲数も少ないし、早く仕上げるためにも、まずはマキシかな、と。まぁ曲ができてなかったっていうのもあったんですけど」
――じゃあ、マキシを出すって決めてから曲を書いた感じ?
リョウヘイ
「たぶん、なかったよな」
カツ・デッド「3月までツアーをやってて、4月は1ヶ月ミーティングって感じで」
――曲の叩き台を持ってくるのは?
カツ・デッド
「確実にヴォーカル&ギターのイシ君(サトシ“HARLEY”イシダ)が持ってきます。ただ、ちょうどネタは多少あった状況なので、まったくのゼロからではなくて何曲かネタがあって、とりあえず持ってきてって感じだったんで」
――詞はどうですか? 詞はカツさんが書くことも多いということですが。
カツ・デッド
「今は、いろんな作り方をしてみようってことでやってるんですけど、大体イシ君がコードとメロを持ってきて、みんなでこんな感じでって合わせて、曲のイメージが大体できた時点で詞を書き始めてたんですけど。今回の作品に関しては、そうですね」
―なぜ詞を書くようになったんですか。
カツ・デッド
「特にキッカケはなく…。俺にも書かせろってわけじゃなくて、みんなにも“書いてきたらいいんじゃない”って言ってるんですけど、たまたま書けたというか。もともと前にやっていたバンドでは詞を書いていたので、“じゃあ書いてみてよ”っていうふうになって」
――ヴォーカルのイシダさんは、詞を書くのに苦労していたんですか?
カツ・デッド
「どっちかって言ったら、いいメロディ、いいメロディ、って感じですね。歌詞で何かを伝えたいというよりは、いいメロディを作りたいっていう。もともと英語でやってるんですけど、英語があまり得意じゃないっていうのも多少あったみたいで」
――音楽的な面でのリーダーは?
カツ・デッド
「曲を作るときはイシ君ですね。ライヴ中は…」
リョウヘイ「特にないなぁ」
カツ・デッド「楽器の技術的にはベース(シオマン)に、おんぶに抱っこ状態ですね」
――前回のレコーディングやツアーで、チャッキー(ポットショット/Tb)が参加したことによって得たものはありましたか?
カツ・デッド
「それはもう、いっぱい。ライヴの中身もそうだし、ステージングもそうだし、ライヴの前も後もそうだし。ツアー中、各地で地元のバンドに出てもらったり、一緒にやりたいバンドを連れて行ったりしたんですね。で、地元バンドと一緒にやった時に、ウチらは“連チャンで疲れている時には打ち上げはやめよう、次の日ツラくなったら嫌だから”って言ってたんですけど、“それは良くない”と。地元のコと付き合うことによって、次にやる時にまた一緒にやってくれたり、バンドとしてというより人間として尊敬して見てくれるようになる、と。ライヴが終わって、じゃあお疲れ〜って帰るよりも“打ち上げあるけど行く?”って誘ったほうが、次に行った時に“アイツらと一緒にやるの嫌だから”って言われずに仲良くなったりするんだよ、って言われて。実際にすごく仲良くなって、今回のツアーにも出てもらうバンドもあるんです」
――バンドを運営していく力というか?
カツ・デッド
「すごく引っ張ってもらいましたね。レコーディングでも、ウチらがこうやって吹こうかって言ってレコーディング前に合わせるんですけど、その時に“そこはちょっと違うんだよね”とかって。自分たちで普通 に吹いてしまうところを…自分たちの技術もわかってくれてるから、できることをもっと言ってくれる」

メンバー全員、バンドで
食っていくぞって感じですね。

――ところで、そもそもバンドをやる時に、なぜ管楽器を選んだんですか?
カツ・デッド
「僕は、すごく好きだったバンドがヴードゥー・グロウ・スカルズとレス・ザン・ジェイクだったんですけど、その2バンドともトロンボーンがメチャメチャかっこいいんですよ。レス・ザン・ジェイクはトランペットもいないから、トロンボーンがメチャメチャ吹いてて。ヴードゥーの場合は、みんなドカッとした体型の人の中に、1人だけ線の細い人がいて、それがまたカッコ良くて。
 で、チェンヂアップのライヴを見てカッコいいなって思って、イシ君と話してた時に“ウチ、トロンボーンいないんだよね〜”って言われて“じゃあ、俺やります”って。ちなみに前のバンドでは、ヴォーカルをやってました(笑)」
リョウヘイ「僕は、小学校の時に吹奏楽でやってたんですよ。で、高校を出たあたりから、こういう系の音をやりたいと思うようになって、その時はギターもやってたので、バンドをやるに当たってギターでやるかスカ系でホーンをやるかを迷ってたんですけど、たまたまちょうど大学進学でこっちに来た時に、チェンヂアップがメンバー募集でトランペットを募集してたんですよ。それで、じゃあやってみようかなって。20才の時ですね」
――じゃあ、ベースのシオマンが入ったのが一番最後だったけど、一番年長だと。で、2人はチェンヂアップがライヴシーンに名前が出始める頃に参加したんですね? あと、みんな千葉在住なんですか?
リョウヘイ
「ちょうどオムニバスに参加したぐらいの頃('98年)に加入して。大学は辞めました(笑)」
カツ・デッド「僕の場合は、卒業した時にお金がなくて千葉に住めなかったので、1ヶ月ぐらい実家の茨城に帰って、あの手この手で何とか千葉に舞い戻って」
――バンドが楽しくできればいいから、生活は普通 に仕事をして…って感じなのか、この道で食っていくぞって感じなのか、どっちですか?
カツ・デッド
「全員、バンドで食っていくぞって感じですね。だから仕事も、バンドを優先にできるものを選んで」
リョウヘイ「みんなバイトはしてますね」
カツ・デッド「働きたくなくて働いてないのが、僕だけですね(笑)」
――バンド活動をしていない時は何をしてるんですか?
カツ・デッド
「僕は趣味をやってます(笑)。ギャンブルとかで何とかしちゃってますね。あとは、一日の短期バイトをコツコツと」
リョウヘイ「ちょっと前まではちゃんとバイトしてたよね」


 


※SAへのバンド出演依頼 、タイセイ(SA)含むBoo Zee LoungeクルーへのDJ出演依頼、 ブライアン・バートンルイスへのDJまたはMC出演依頼は、familiesまで。   ※本サイトへのご意見、ご感想はこちらへ