今年の夏は、これまでの彼らの活動からは考えられないほど多くのイベントに参加する。それを前にして、後藤はこう言った。
「僕は、とりあえずどこへ行っても、“ASIAN KUNG-FU GENERATION”っていうバンドをみんなの脳裏に刻み込ませて帰って来れたらなと思いますね。ライヴは勝ち負けがあると思ってるので。音楽に関しては、優劣はそんなになく、個々それぞれが判断することだと思うんですけど、とかくライヴに関しては、優劣はどこ見に行ってもついて回ると思うから。そう意味では負けたくないっていうか。明らかに勝ちに行く。ただ、見失わないで、平常心で勝ちに行きたい。そういう心意気で望もうかなとは思ってます。あと終わったときに生きてたいね」
 FRF03、3日目、夜中の3時過ぎからのライヴ…。かなり過酷な状況だと思いながらも、僕は彼らのライヴを見に行った。“ほとんど人はいないだろう”くらいに思っていたのだが、その予想はあっけなく裏切られた。会場には多くの人が集まっていて、彼らのライヴを心待ちにしていたのだ。そして、彼らが音を出せば、その人数はさらに膨れあがった。それを見て、僕は彼の言ったことが現実になっていると感じた。
 今回は、8/6リリースとなった「未来の破片」のインタビューをお届けする。



●バンドの結成はいつ頃なんでしょうか?
後藤「大学の音楽サークルの同期なんです。この3人(後藤・山田・喜多)は、(アジカンが)初めて組んだバンドなんですよ。楽器を買ったのがバンドを組む3ヶ月くらい前で、まずはコピーをやろうかってことで、オアシスとビートルズの曲をやったんだけど、ギターが下手だから、なかなかうまくいかないわけですよ。それで、“もう(オリジナルを)作っちゃえ”みたいな。あと、疑問を感じてたっていうかね、大学入ってまでコピーはどうなのよって(笑)」
●やっぱり音楽性が似てたから一緒にやることに?
喜多「そういうのはあると思います」
後藤「この3人(後藤・山田・喜多)は、ちょっとずつ共有してる部分があるんで」
●初バンドということは、高校生くらいから音楽に目覚めたんですか?
後藤「高3の夏休みくらいからエピタフレーベルのバンドとかを聴き始めたりしてて。でも、洋楽に本当にハマったのは、浪人になってからですね。腐るほど時間があったから、バイト代をCDにつぎ込んで集めていく感じになりました」
●プロフィールに書いてある好きなアーティストも、レディオヘッドやナンバーガールって比較的最近のバンドで、たぶんアジカンのメンバーが高校〜大学の頃に活躍してたバンドだから、音楽に目覚めたのが最近なのかなって印象だったんですよね。
後藤「そのへんのバンドが出てきたときって、シーン的にもハッピーだったっていうか。聞いてるほうもCD屋に行くのが楽しかった時期かなって思うんですよね」
●ニルヴァーナも聴いてました?
後藤「カートが死んでからだな、知ったのは。リアルタイムってわけじゃなくて、浪人になってから、友達から教えてもらって聴くようになりましたけど。フー・ファイターズは、すげぇ聴きましたね」
●ナンバーガールって本当最近ですよ。
後藤「俺らが大学のときだよね? ナンバーガールのライヴはチケットが取れなくて、やっとこ見れたのが、フジロックとかそんくらいで…。音(CD)は聴いてたけど」
山田「男の人って、おっくうですよね。ライヴ行くの」
●チケットを頑張って取る気がしないんですよね。
後藤「ソールドアウト系のやつには間に合わないことが…。必然的になかなか見る機会がなかったという」
山田「自分で取って行ったことないもん」
●やっぱりナンバーガールの影響は受けましたか?
後藤「音楽性も多少あるんですけど、そこよりは憧れというか、空気感というか。あの存在感に憧れましたね。ナンバーガールでしかない感じが。そういう成り立ち方、イースタン・ユースにも共通 した感覚だと思うんですけど、すごく存在感が好きでした」
●聴いた感じだと、いろんなアーティストから影響受けてる感じがします。“和製WEEZER”と書かれたりもしてますけど。
後藤「自主制作の頃は、“日本のWEEZER”とかフライヤーに書いてて、怒られたこともあるけど、キャッチコピーとかはあんまり俺らには関係ないよね」
喜多「WEEZERとかナンバーガールファンから怒られちゃうよな(笑)」
山田「実際外国の方から、(ネット検索で)WEEZER経由でたどり着いて、良いって言ってくれた人もいました。自主制作の頃ですけど。スタジオで話しかけられたこともありましたね」
後藤「あったね! おまえらWEEZERみたいだなって。どっかのバーでやってたときも、おまえらGREEN DAYみたいじゃねーかって言われたり(笑)」
●何とかみたいって言われることについては正直どう思います?
後藤「あんまりイヤじゃないよね。たいして気にしてないっていうか。それはきっと自分たちでいいものを作れていると思えてるからだと思う」
山田「受け手はね、いろいろそういう風に思うだろうし」
後藤「こっちも真似してやってる意識がないから、言われることに関しては、何とも思わない」
●でもサウンド的に、やっぱりルーツはその辺だなって感じはしました。
後藤「どうしても音楽ってつながっちゃいますよね。先にやった人たちのことも、まともに受け継がれて回っていくものだと思うし。僕らもリスナーとして音楽はすごく聴くし、そういう意味では、しょうがないっていうか。自然にそうなるというか…」
●だからって、気張ってオリジナリティを出していこうって考えを持ったわけでもなく。
後藤「オリジナリティというか、この4人でやったら、そういうものになるから。無理にアジカンであろうとしてるわけじゃない」
●そう言えるようになった、自分たちの音楽スタイルが確立されてきたのはいつ頃なんですか?
後藤「日本語に変えてからですかね。ずっと英語でやってたんで。やっぱり言葉が圧倒的に…。普段話してる言葉だし、母国語であるわけだから、(曲に)性格が付いてくれるというか。楽曲、サウンドだけじゃなくて、発している言葉という部分で、どうしても匂い立つものは出てきますよね」
●ちなみに日本語にしたのはいつ頃なんですか?
後藤「2000年くらいか?」
●潔さんが加入したときは?
「まだ英語でしたね」
●でも遅咲きって言えば遅咲きですよね。それまでは活動はどんな感じだったんですか?
山田「学生時代は、横浜の大学に行ってまして、横浜のライヴハウスで、自主的にブッキングしたり、イベントやったりとか」
●アルバイトをしながらライヴって感じですね。
山田「自主で作ったCD-Rを売ったり、草の根運動を」
後藤「そのあたりから東京でもやり始めた感じだよね。2枚くらい作って、結構評判良かったよね。CD-Rにしては驚異的に売れた。誰の協力も得ずに(笑)」
●そういう状況で、続けて来られたことが、まずすごいですよね?
後藤「そうですね。これは非常に頑張れたというかね…。何とか萎えずに来れたって気持ちが強い。バンドを続けるのは難しいことだと思うんですよ。それも才能の一つっていうか。それは何をやるにもそうだと思うんですけど。転機っていうのはいろいろあって、大学終わったときとか、当たり前に葛藤があったし。このままフリーターをやっていくのか…とか」
山田「1回みんな就職して、その中で、ない時間を費やしてバンドやってたんですよ。やっぱりやりたいからやってたわけだし」
後藤「うん。就職するしかなかったところもあるんですよね。地方から出てきてるし、家賃払って、バンドも続けてって言ったら、月20万くらいの収入は絶対要るし。あのあたりはバンドが揺れた時期でもあったと。でもそこで萎えなかったから、今があると思いますけどね」

●萎えなかったのは、音楽が原因だったんですか? 4人でやってることが要因だったんですか?
後藤「たぶん、4人でって言うよりは音楽。結局、局面 はそこの問題になると思うんですよ、絶対的に」
山田「就職しながらやってると、趣味でやってるんだくらいにしか思われない。そういうところに違和感を感じてて」
後藤「それはすごく思ったね。あと状況も良くなったっていうのもあった。もがいてるうちに、インディーからも声かかるし」
●やっぱりそういうのがなければ辛いですよね。
後藤「それがなかったら、もしかしたらやめちゃってたかもしれないと思うんですよ。非常に運は良かったと思います」
●やっぱり、音楽に絞るかってときには、4人で話し合ったり?
山田「結論が出た記憶はないね。自然に。自主のCDを1枚買ってくれただけで、支えになるし。その積み重ねで」
●自分の中でのバンドの比重が、会社よりも大きいものだったということですよね。バランス的に。
山田「そうですね」
後藤「そこを保つのは結構必死だったよね(メンバー同意)。あの状況下では、会社とかに巻き込まれていくほうが、ホントは普通 っていうか、だから残ってるのは奇跡的ではあるよね」
山田「学生時代、同じサークルで、良い音楽センス持ってる人でも、バンド続けてる人っていないし」



 


※SAへのバンド出演依頼 、タイセイ(SA)含むBoo Zee LoungeクルーへのDJ出演依頼、 ブライアン・バートンルイスへのDJまたはMC出演依頼は、familiesまで。   ※本サイトへのご意見、ご感想はこちらへ