お前の好きなのは何だ? ロックだ。
じゃあ、それをやればいい。
それだけよね。


――デビュー20周年の2001年は、最初で最後のカウントダウンライヴで締め括ったということで、その後はレコード会社の再編成によってゴタゴタしたと思うんですが、モッズだったら単純にソニーグループの他のレーベルとの契約とか、そうじゃなくても単純に移籍するという手もあったと思うんですけど…?
森山「いくつかの選択権があったけど、自分たちでやるのが一番手っ取り早いというか、自分たちでやることは自分たちで責任を取るのが一番後悔がないかなというのが、まず一番にあって。もちろん大変なこともあったけど、決めることに関してはそうでもなかったね」
――そういった関係の打ち合わせの場は、リーダーである森山さん1人で?
森山
「ポイントでは、みんなで確かめてるよ。今こういう状況で、こういう選択権がある、というのは何度か集まって話して、最終的にみんなで一致しないと、やっぱりGOは出せないし」
――デビューから10年ぐらいの30代半ばとか、そういう歳のバンドだとすごく不安もあると思うんですけど、モッズの場合は“俺たちどうなるんだろう”という不安は、もうないようなイメージがあるんですが。
森山
「これは昔から言ってたことで、今回だけじゃなく今までも、マネージャーが変わったり事務所の人間が辞めていったり、ほかにも小さいことはいっぱいあったんだけど、バンドがある限りは、どこに行こうがどう変わろうが、俺は関係ないと思う。メンバーも全員、そう思ってるだろうし。
 バンドがないというのは一番どうしようもないことであって、話が変わってくるわけだけど、バンドがあれば、どこの会社に入ってもOKだし自分たちでやってもいいし、それだけのことだよね。もちろん不安はあるけど、それは単純に未知のことをやるから不安なわけであって、逆にそれを面 白いと思えば面白く感じられる。それに加えて、それこそいろんな友達や過去の仲間、そういう人たちがいろんな手助けをしてくれるしね。だから、いざやり始めると、そんなことより動くことのほうが大変だったね」

――森山さん自身がやることは増えましたか?
森山
「俺は、そんなに大きく変わらないかもしれない(笑)」
北里「明らかにお酒の量 は増えたよね(笑)。それだけ話すことがいっぱいある。誰かが決めてくれるわけじゃないから、やっぱりみんなで何でも決めていかないと。そういった意味では、よく話すよね。まぁ、もともとお酒好きだし」

――話し合ったり確認したりという場面 は多くなった、と。
森山
「多くなったね。単純に北里と2人だけで、好きで呑んでるのもあるけど、ロッカホリックのこととか来年のこととかを、昔以上に話すようになったね」
――最近は、インディーズでも100万枚売れたとかそういう情報も入ってくるとは思うんですが、北里さんとしては自分たちがインディーズでやるということに関して、何か思うところはありましたか?
北里
「すっごくダイレクトに、よくわかるね。自分でこれだけのものを作って、どれだけお金がかかりました、それに対してこれだけのペイバックがありました、というのが面 白い。やってて、すごく実感があるよね。誰かが(知らないところで)算盤はじいてるわけじゃないから」
――いざインディーズでやるってことになった時、“エッ!?”ってなる感じではなかった?
北里
「それは全然なかったね。ただ、システマティックなところで、果 たしてこれが本当に回っていくのか、そういった不安はあった。そういう未知との遭遇の不安はあるけど、自分でやっていくしか選択肢はなかったし、結局やるしかない。四の五の言っても始まらないし。
 でも、いざ自分の音楽において不安があるかって言ったら、それはないね。お前の好きなのは何だ? ロックだ。じゃあ、それをやればいい。それだけよね。やり続けるためには、こういったシステムを動かしていくしかないぞっていう話。だから、すごくシンプルに考えた」

――逆に、普通の人が20〜30代で重ねていく社会的なものを一切やってこなかったことによる不安は、今さらないって感じですか?
北里
「そこはね、ロックというかバカっていう言葉が間違いなくあって、何の話をしてるのか全然わからないこともある。でも、そんなのは俺たち20年来の人脈もあるし、わからなければ“わかんないから教えて”って言えば丁寧に教えてくれる人もいっぱいいるし、手を貸してくれる人もいっぱいいた」
――そもそも、そういう覚悟で始めて、気づいたら20年経ってたわけですもんね。だから、ある意味やることは変わらないという。
森山
「いざ動き出したら、やることは変わらないんだよね。いいアルバム作って、いいライヴをやっていくというのがベースにあって、それにはどうやっていけばいいかという…ちょっとしたビジネスなのかもしれないけど、そのへんだけは多少、今までやってきたことがないから勉強しなきゃいけないこともある。でも、いろんな人が助けてくれるのも事実だし」

今の俺たちの気持ちを一番わかりやすく
伝えるには…ということで、
「FIGHT OR FLIGHT」ができた


――カヴァーアルバム『ROCKAHOLIC』を出した時点('02年5月)で、インディーズでやることは決まってたんですか?
森山
「いや、ない。あれは単純に、自分たちが小さい時に好きだった曲をやりたい、それをファンに聴かせたいというのがあったから、ちゃんとフルアルバムにはしたけど、ファンにとってのアイテムというぐらいでいいんじゃないかなってことで、正規の流通 じゃなくインディー的なやり方をとっただけ。“次からインディーで行く”とかは、あの時点ではまだなかった」
――それでカヴァーアルバムを出して、その後は変名バンド“ロッカホリック”としてイベント出演も何本かありましたが、その後11月にレーベル&オフィス“ロッカホリック”を設立したというのは、その次点ではもうレコード会社とのこともハッキリしたということですよね?
森山
「そういう時期だったよね」
――それから、新曲「FIGHT OR FLIGHT」を作ってツアーでライヴレコーディングをして発表しよう、ということになったんですか?
森山
「ロッカホリック設立以前に、レコード会社の云々とかなしで当たり前のスケジューリングとして、ツアー自体は決まってた。ところがそういうことになって、でもやっぱりツアーはやろう、と。その時に、新曲のレコーディングはライヴを録って出そうというふうに切り替わったというか」
――デビューアルバムのタイトルである「FIGHT OR FLIGHT」という曲を作ろう、というのは森山さんのアイディア?
森山
「ライヴレコーディングをやるに当たって、1曲でも新曲が欲しいよねっていうことになって、今の俺たちの気持ちを一番わかりやすく伝えるには…ということで、あの曲ができた」
――21年目の再スタートに、ファーストアルバムのタイトルは相応しかった?
森山
「ある意味ではわかりづらいけど、気持ちの上ではわかりやすいんじゃないかな」
――その新曲をライヴでお客さんも一緒に歌えるように、オフィシャルサイトで一部を試聴できるようにしていましたが、その音はどうやってレコーディングしたんですか?
北里
「レコーディングじゃなくて、リハーサルの時に録ったんですよ」
――リハスタでの一発録りってことですね。で、その曲を含むライヴCDとライヴドキュメントDVDのセット『NO EXCUSE!』を、ロッカホリックレコーズの第1弾として今年3月にリリースしましたが、今後「FIGHT OR FLIGHT」をスタジオレコーディングする予定はないんですか?
森山
「本当は、今回のアルバムのために録ろうかなと候補には挙げてたけど、どんどん新しい曲を出したほうがいいかなぁと思って、なくしたね。いつか、たとえばボーナストラックか何かでスタジオ版を作ってもいいかなとは思うけど」

また何かあればメジャーに行くとか、
そういう意識はもうないね。
だって、一番責任取れるしさ。

――“FIGHT OR FLIGHT”ツアーは、バンドにとっての節目でファンに報告したり宣言したりするツアーでもあったと思うんですが、ファイナルの赤坂ブリッツは、これまで以上の動員があった気がするんです。で、メジャーのレコード会社とサヨナラしましたってことになると、普通 に考えたら関係者も減ると思うんですけど、逆に関係者も増えていた気がして。苦境に立たされたと思って、今まで以上に応援したくなるのか…。
森山
「それはあるかも(笑)」
――ただでさえ熱いモッズファンも、いつも以上に熱かったような…。
森山
「ファンの中にも、それを敏感に感じた奴はいっぱいいたと思うよ。“もう独立してやるんだ、本当の意味でインディペンデントでやるんだから支えていかないと”っていう気持ちがあるファンは、間違いなくいたと思うよ」
――“今まで以上に君たちの協力が必要です”って言われたら、ファンとしては“任しとけ!!”って気持ちになりますよ(笑)。ちなみに森山さんのMCには時々ドッキリ発言があるんですけど、“たぶんココで終わることになると思います”というような発言もありましたよね。
森山
「それは今もそう思う。メジャーとかインディーは置いといて、20年経って俺たちでこういうのを作って、果 たしていいのかどうかはわからないけど“ここでもう最後の墓場にするんだ”とか、それぐらいの気持ちでやってるんだってことをわかってほしい。また何かあればメジャーに行くとか、そういう意識はもうないね。だって、一番責任取れるしさ。だから“レコード会社が宣伝費かけないからさぁ”とか、そういうことは言わなかったよね。ソニーグループは、俺たち枚数悪いのに結構お金出してくれたしね、正直言って(笑)。バンドに惚れてくれたっていうのがあったからね。
 ただ、もう今はそういうのじゃないところでやんなきゃいけないし、いい楽曲を作って、いいライヴをやっていくしか方法がないわけだから。でもプラスアルファは、きっと何かタイミングが合ったり、いろんな人との出会いがあったりすれば、あると思う。これから先、もちろん過去の仲間たちの力を借りることもあるかもしれないけど、それでいいんじゃないかと思ってる。
 ここで良質なロックを作って、いいライヴをすれば、それでもういいんじゃないかな。解散するのか自然消滅なのか、ローリング・ストーンズみたいに3年ぶりにやったりとか、解散せずに70才になってるとかね、たぶんそういう意識はある。会社と呼べるかどうかは別 としても、このロッカホリックを大切にしたいね」

――以前から言っていた、今みたいなライヴをやり続けられる年数はそう残されていないだろうという意味で、ここで最後までやるぞということですよね?
森山
「悪い意味じゃなくて墓場になると思うし、まぁどう変わっていくかはわかんないけど、そういう意識でやってる」
――ああいったMCは、同じツアーの市川ではなかったと記憶しているんですが、あのMCを聴いて北里さんはどう思いましたか?
北里
「ここが最後の墓場というか、挑戦の場。やっぱり最後は挑戦だと思うわけよ。事を構えるにおいては、後悔はしたくないから、本当に真摯な姿勢でやろうと思ったよ」
森山「俺も考えて言ってないからねぇ。ライヴで思いつくこと、意識を言ってるだけでね」
――昔からMCもカッコいいので、僕は言うことをあらかじめ決めてるのかなって思ってたんですけど、2000年末のツアーのほぼ全日程に同行させてもらった時に初めて、そうじゃないんだって知ったんです。すごくいいMCがキマッて、だったら次の日も同じことを言えばバッチリなのに、そうはしないんですよね。
森山
「やっぱり、何ステージか重ねていくうちに何かを感じて、最終的にはわりと同じことを言ってたりすることはあっても、ツアーの初日に考えていることはないね」
――森山さんは饒舌というか、いつでもカッコいいことをバシッと言えるイメージを持ってたんですけど、そうでもないぞ、と。で、そういう不器用な面 も含めてライヴであり、モッズの考えるロックというものをあらためて感じたというか。
森山
「それはもう会場の雰囲気もあって、ついつい余計なことを言ってしまうこともある。客がそうさせるようなところがあって、やっぱり“何かな…”って思えばMCない時もあるし、飛ばしちゃうこともあるし。それは微妙ですね」
――ドキッとさせられることもあるし、言いたいのにうまく言葉が出なくてヒヤッとする時もありますね(笑)。でも、そういうのも含めて、ライヴはナマものだってことを教えてもらった気がするんです。




 


※SAへのバンド出演依頼 、タイセイ(SA)含むBoo Zee LoungeクルーへのDJ出演依頼、 ブライアン・バートンルイスへのDJまたはMC出演依頼は、familiesまで。   ※本サイトへのご意見、ご感想はこちらへ